ニートとは、果たしてなんなのでしょうか。ニートといういい方をして、若い人たちをひょっとしたら甘やかしているだけなのかもしれません。なぜなら、若い人たちは、ニートという言葉をそれ程悪いイメージの言葉として使用していないからです。
若い人たちも自らニートといい、甘えの衣をまとい、大人たちもニートと批判しているものの、ニートという言葉をモラトリアムの許された期間にいる人たちを指す言葉としても使用しています。
本当ならニートという言葉を使用しないで、無職とストレートにいい、仕事をしないでいる若者たちを批判すればいいのですが。仕事をしなければはずかしいという社会がストレートに作られればいいのですが、そうではない「許されている」と「批判」が二重の構造になっている社会が作られています。
いま、大人の人たちが、ニートだからどうにかしなさい……と言ってもなんの特効薬にもならないのかもしれません。
ニートは、若い人たちにとってあたたかい毛布なのです。しかし、ニートのその後、ハッピーでいることができるのでしょうか……。
目次
ニートのその後 一年程度はまだハッピー?
ニートを、批判の対象という意味合いでとらえている人たちがいる一方では、ニートという言葉は、「批判」オンリーで拡散している言葉ではありません。ここははっきりとニートという言葉で抑えておかなければならないポイントです。若いからニートでも許されているのです。=ニートは、モラトリアムの執行猶予期間の言葉です。
でも、若い人たちに言いたいのですが、いま現在、ニートという毛布にぬくぬく包まれているものの、ニートのその後をそろそろ心配する必要があるのではないでしょうか。
ニートのその後、1年後はまだまだハッピーというかもしれません。そこにあたたかかい毛布があるからです。あたたかい毛布は、ご両親が用意してくれたのでしょうか。
ニートのその後お金は心配ない?
まず、私達が生きていく上でお金はどうしても必要不可欠です。
ニートは仕事をしない人たちのことです。仕事をしないのなら、お金はどうしているのでしょうか。食べるためにどうしているのでしょうか。しかし、若い人たちは、親がなんとかしてくれるから心配ないと言うでしょう。
親が食事を用意しくれるから、食事が出来たときだけ、部屋から出てきて……。また、部屋からそのとき出てこないで、引きこもりで自分だけ部屋で食べている人もいるかもしれません。 このような人たちは、ニートであり、引きこもりです。まさに、病みを抱えてしまっていることでしょう。
ニートの一日の過ごし方
ニートたちは、仕事をしていないので、時間は一杯存在しているという共通点があります。
ニートは、そんなに時間があり余っているのに、有意義な使い方がどうせ出来ていないんだろう……というイメージもどこかあるのではないでしょうか。有意義とは言うことができないかもしれませんが、ある程度生活パターンはしっかり決まり、そのルールに従って行動している人たちが多くいます。
ニートには、二つのタイプがあって、規則正しい生活を送っている人たちもいます。このタイプは、昼夜逆転型というものがあり、大方、そのような生活をしていてずっとニート生活をしていたから、昼夜逆転の究極のカタチとして戻ってしまっているケースが多いようです。
規則正しい生活を送っている人たちの場合は、朝は、お母さんに起こされて午前八時に起床、朝食を食べたら、いい感じで再び眠たくなってしまうので、睡眠……。そしたら、お昼になって昼食、そして、このあたりで、お母さんに依頼されてスーパーマーケットに買い物へと近所まで出かけて行きます。
このとき、お母さんから渡されたお金のおつりで、スナック菓子、コーラーなども一緒に購入して来ます。
帰ってきたら、ちょっとお昼寝、そして、インターネット、ゲームなどしているうちに夕食です。夕食が済んだら、インターネットサーフィン、お風呂に入って就寝。
ある人たちが見れば寝てばかりのぐうたら生活というかもしれません。しかし、ある意味、しっかり規則に従った生活ということができるのではないでしょうか。
また、昼夜逆転の人たちは、 午前4時に寝て午後の3時に起きるという流れです。午後3時に、朝食を食べ、もう夕方なので別に外へ出ようというモチベーションもそれ程起こらないでしょう。
遅い朝食が済めば、家族みんなで食べる夕食の時間です。それを一緒に食べる人たちもいれば、既に朝食を食べたばかりなので、そこでは食べないで、夜食として残しておくケースもあるでしょう。
夕食を食べたあとは長い暇の時間がありますが、その時間はほとんどインターネットです。
昼夜逆転の生活が、引きこもりの理由を作ってしまうのかもしれないですよね。しかし、それでも昼夜逆転の人たちでも、自分自身で、生活のリズムを作り、規律正しい生活を送っているといういい方もすることができます。
引きこもりで病む人たちは、ある意味ではこの生活パターンを見失った人というとらえ方が出来るのではないでしょうか。生活パターンを作れば、自分自身で生活パターンを変えていけばいいのですが、生活パターンがない認識でいると、その生活からは自力でなかなか抜け出すことができないのではないでしょうか。
生活パターンがないから、したいから食事を食べる、したいからインターネットをするという気持も段々と失せてしまうことになり、したくないのに食事、したくないのにインターネットをする事態に陥ることでしょう。
一人暮らしニートは食事はどうしているの?
実家でニートをしているから、食事の心配はしなくていいのです。であれば、一人暮らしのニートは食事の問題はどうしているのでしょうか。一人暮らしニートは、買い物がネックであり、やっぱりお金の問題があります。
一人暮らしニートは、一週間に一度程度、カップラーメンやスナック菓子を大量に買い込んで来るというケースが多いようです。
やっぱり食べ物を買いにいかなければならないから、完全引きこもり状態など許してもらうことができません。そのような意味では、
買い物に行くだけ社会とつながりを持つことができ、社会への復帰の可能性が残されているといういい方をしてもいいのではないでしょうか。
そのような意味では、
インターネットで食事をデリバリーしてもらうニートの人たちは、引きこもりのリスクを抱えてしまっているのでしょう。
そしてお金の問題です。お金がなければ、ニートは、スーパーマーケットへ買い物も行くことができません。
ニートと言えども、親からの援助がない限り、仕事してお金を稼ぐ必要があります。お金がなくなればアルバイト生活をしている人たちも、ニートに含めていいのではないでしょうか。
そのようなアルバイト生活と、何もしていない生活を繰り返しているニートが非常に多くいます。
いまは、いちいち外へアルバイトをしにいかないでもインターネットで仕事をして、ある程度お金をゲットすることができたら、再び何もしない生活……という方々も多くいます。ニート……。それでも若い人たちは生きていく方法をいくらでも見つけることができます。しかし、そろそろ若いニートも、その後について真剣に考えるべきではないでしょうか。
まずは、親はいま健在であっても、あなたより確実にはやく死んでしまうことになります。いつまでも親頼りにすることが出来ません。
ニートのその後 五年が経過し……
ニートでも生活することができるから、ニートのまま五年が経過してしまうという人たちもいることでしょう。
十八歳からニートをしたというのなら、5年後のニートは23歳ということなので、まだまだ立ち直りが効く年齢と言ってもいいかもしれません。
しかし、問題は、あなたがニートを離脱しようというモチベーションを持ってないことです。このままニートでもいいかも……なんて考えているようでは、本当にニートのその後が心配です。
ニートのその後 十年ニートはヤバかも
十年ニートを続けてその後、そろそろ仕事をスタートしようと思って、企業が簡単にあなたを採用してくれればいいのですが、企業はそんなに甘いものではありません。
あなたと同じ年齢の転職者は雇用される可能性がありますが、あなたにはブランクがあります。
面接で通過するコツは、ニート期間そのブランクをどう過ごして来たか上手く説明できることです。
残念ながら、ニートの人たちは、なかなかブランク期間をどう過ごして来たか明確に説明ができないのではないでしょうか。「ニートの期間何もしていませんでした……」それは、面接官にひょっとしたら「逮捕されていたのでは……?」ということも誤解させてしまっているのです
ニートのその後 転落記
現在、ニートで大丈夫でも、ニートのその後についておおいに心配し、一刻も早く脱却というモチベーションを持つ必要があります。
ニートのその後、悠々と社会復帰しよう……。しかし社会はあなたを相手にしません。あなたがこれ以上引きこもりになるつもりがなくても、社会的構造があなたを引きこもりにし、病人にしてしまうかもしれません。
社会復帰出来ないでも大丈夫と思っている頃は、ニートという生活は光輝いているのかもしれませんが、社会復帰したくても出来ないで仕方なくニート生活を送ることは地獄です。
お金がないから就職活動……。しかし、企業はあなたを相手にしません。お金を消費者金融で借りまくり、もうこれ以上借りることができなくて破産という悲劇もあるでしょう。
まさにニートは、その後、転落人生を送っていくだけです。
【ニートのその後】まとめ
ニートのその後、いまはいいのかもしれませんが、必ず地獄がやって来ると思ってください。ですから、あなたが、モラトリアムの執行猶予の期間だと甘やかされている頃に、しっかりニートを卒業しようという姿勢を持つ必要があります。
人間は社会的人間のことであり、やっぱり働く人間のことなのです。人間が抱く幸せや平和、快楽は、仕事と仕事のスキマに作られるものなのです。