「星占いは当たる?」皆さんの日常で星占いというものは良く耳にするのではないでしょうか?星占いは様々な層にとても人気がありますよね。大人も子供も、またお仕事をする方にも大人気のこの星占い。「本当に当たるのか?」と気になる方もいるのではないでしょうか。
本日はそういった方々のために、星占いの歴史や当たるかどうかを詳しく見ていきたいと思います。
目次
星占いは本当に当たるのか?
さて、その皆様が親しみを持っている星占いは本当に当たるのか?星占いはなんなのかということと、星占いの歴史を見ながら解説の方をしていきたいと思います。
星占いとは
星占いとは「占星術」とも言います。聞いたことがあるかたもいらっしゃるのではないでしょうか?この占星術は世界中に存在するものではありますが、現代の日本に存在する星占いは西洋占星術をもとにしたものが殆どだと言います。西洋占星術の考え方は人間を小宇宙のミクロコスモス、大宇宙であるマクロコスモスと類似している、というものです。
大宇宙の星の動きは人間の運命と何か関係があるはずという考えをもとに、生年月日、生まれた場所からご自身が生まれたときの星の位置を割り出し、それによって自分の運命を予測しようというのが星占いの基本的な考えなのです。
生まれた日や時間、その場所により、生まれた時点で一生の運命が決まっているということになるのです。
ちなみに占星術の種類に関してですが、ギリシャ、インド、ヨーロッパ、アラブで発展した西洋占星術、インド占星術、中国などの東アジアで発展した東洋占星術があります。
歴史上のあの方も星占いを実験?
みなさんがご存知の戦国時代に活躍した「織田信長」はこのように生年月日の占いが当たるかどうかを実験しています。このような占いは科学の発展していなかった時代には特に現代以上に信じられていたと言われています。織田信長は星占いが当たるかを試す為、領内で自分とまったく生年月日が同じ人を探し当てました。
結果、探し当てた人物はなんと自分と境遇が全く違い、極貧の境遇にある人でした。この結果により、織田信長は星占いは当たらないということを証明したと喜んだそう。
ブッダのお言葉もあり
これは、ブッダの過去の星占いに絡んだストーリーなのですが、ブッダが祇園精舎にいたときのことです。祇園精舎のあるコーサラ国の首都に住んでいた良家の娘が田舎の男との結婚が決まっており、結婚の日取りを決めていましたが当日になってもその田舎の男は来ませんでした。
そして、娘は別の男性のところに嫁にいったのですが、翌日になって田舎の男がやってきて「娘さんをください」といったそうだが後の祭り。
聞くとその日取りは「邪名外道」といって星見の結果が良くなかったので、その日取りににはこなかったという。ブッダはいう、「そなたがたよ、邪名外道が家族のお祝いを邪魔したのはこの世ばかりではない。過去世でも彼らに対し、邪魔をしたのだ」
そして、昔にも似たような話ががあり、都の男が田舎の娘を嫁に選んだ時にも同じことがあった。そこに、用事で来ていた都会の博士が星がよくないと言われたからその日は娘をもらいに行かなかった言う、都の男に対してこのような詩を歌う「星を眺めて吉凶を占う 愚人には幸福は来らず、幸福はそのままの幸福の星なり 星なにをかなさん」
それに加え、ブッダが説かれた言葉がこちら。
「そなたがたよ、その時の邪名外道は、今の邪名外道である。その時の家族も、今の家族である。」
つまり何が言いたいかといいますと。
ブッダは「星占いをする愚か者には幸せは来ない、幸せこそが幸せの星なのだ、星はなにもしない、と教えられています。
このようにブッダがおっしゃるには「星占いでは幸せになれないから、しないようにしようね」と教えられています。このような教えもあり、また現代では科学が進歩してきたお陰で少しずつ合理的に考えられるようになってきたといいます。
当たる星占いの歴史
占星術の元になったと言われている「プロト占星術」はチグリス川とユーフラテス川の間のメソポタミア南部にその紀元があるといわれています。ハッキリとした、時期は分かりませんg、紀元前2000年より前には既に星を神々の意思を知るための予兆としてみなす、ごく初歩的な占いが行われていたと言われています。
そしてより本格的であるギリシャ占星術が始まったのが恐らく早くても前3世紀以降ではないかと考えられています。しかし、ローマ帝国の末期では、これまでに盛んだった占星術の盛り上がりに関してもやや陰りが見えてくることとなる。
更にはそれをまた追い打ちをかけるように、西ローマ帝国崩壊以後の学問の衰退により、ローマにおける占星術は他のヘレニズム科学共にほぼ完全なる消滅となります。実際に5世紀行こうは占星術においての重要な動きというのは殆ど視られなくなっていきます。
そして、ヨーロッパの占星術が再び姿を表し始めるのが「12世紀のルネッサンス」。16世紀から18世紀に向かって、コペルニクスを代表する科学者による諸発見、及び新たな宇宙観は占星術を支えていた宇宙像を認めることのできないものとして葬り去ることになります。そして、本当の意味であらたな活力を取り戻すのは19世紀末になります。
そして、20世紀における人々の占星術への関心は途切れることなく続いていきました。そして、本日までに至るのです。
当たる星占い占星術とオカルトと科学の違いは?
占星術と魔術(オカルト)の違いは占いが時間的未知を対象としているのに対し、後者は空間的未知を対象とするという。その為に「一線を画すもの」だと結論づけている。
科学と占星術は天文学、そして数学との接点はあるものの、差異も多くあるとしてそのポイントが提示されている。
一つは占星術が人間を中心とした原理に立脚したものであること。それに対して科学は人間も含むものの「自然中心の原理」立脚するものです。
そいて占星術は「未来を占う」という目的があり、科学はそのような目的はない。
占星術は未来を予測するのに対し、科学は予測をしないようです。
当たる星占いの先生
こちらは有名なホロスコープに特化した占い師の方をいくつかご紹介したいと思います。
最近ついてないと感じる方、今後の運勢を知りたい方は是非ともチェックしてみてください。
櫻本稀子先生
東京杉並区で活動をする人気占い師さんです。ホロスコープやタロットを使った鑑定、そしてご本人も「美容家」であるため「美容レッスン」も取り入れています。
きつね先生
東京新宿の占いの館「神貴堂」に所属する人気占い師。
西洋占星術やタロット、四柱推命がズバリ当たると評判。その中でも特にホロスコープの的中率が高く、テレビや雑誌などのメディアで活躍しています。
高橋美世子先生
高橋美世子先生は豊島区で活動するホロスコープ占い師です。ズバリ的中する占いが話題となり、鑑定だけではなく、講座やイベントなどでも活躍し、全国の多くの方の相談を受けています。
テレビや雑誌の星占いは当たる?
テレビや雑誌の占いが当たらないと思ったことはありませんか?毎朝沢山のテレビの星占い見たことあるかたもいるかと思います。「今日一番の運勢は~」と言われて過ごしたけれど、何も良いことなかった!そのような経験をした方もいるでしょう。
それは、雑誌に載っている占いに至っても同様です。「出会いがある」と書いてあるのに、金運があるっていわれたのに金欠なのはなんで?このように不満を感じた方が多いかと思います。それは何故かといいますと、テレビや雑誌の占いというのはその人の「太陽星座を」もとに出しているからです。
その人が生まれたとき太陽がどの星座の位置にあるかで占うので、例えば牡羊座は「3月21日~4月19日生まれ」ですが、この期間には太陽が牡羊座を運行していたからなのです。何故この太陽星座なのかというと、太陽は毎年ほぼ同じように運行し、1ヵ月ごとに各星座を移動していくので、誕生日から何座なのかがすぐ分かるので太陽星座による星占いが世の中に浸透したと言えるでしょう。
ですが、本来星占いというものは、太陽星座だけで占うわけではなく、西洋占星術をもとにしたもの。そして、太陽を含めた10個の天体がそれぞれ生まれたときに何座に位置していたのかを、生年月日、生まれた時刻、生まれた場所から導きだし、それらを総合して占うのです。
なので同じ太陽星座であったとしても、生まれた年月日、時間や場所、それらが違えば占いの結果というものは全く違うものになってきます。このような理由から、太陽星座だけでみるような、雑誌、テレビの占いは外れやすいというのが、分かるかと思います。
まとめ
さて、星占いは当たるのか?ということについて、見ていきました。
以下まとめになります。
- 星占いは生まれた日やその場所により生まれた時点で一生の運命が決まっていると言われている
- 織田信長も星占いを実験した人物になり彼の場合は同じ生年月日の人が自分と全くちがう境遇であったため、星占いがあたらないと証明。またブッダのお言葉でも「星占いするものに幸せが来ない」という言葉が残っている
- 星占いの歴史とは紀元前2000年前より前には既に存在していた
- 有名な先生はホロスコープに優れている
- テレビや雑誌の占いが当たらないのは、その人の太陽星座を元にして出しているからである。西洋占星術を元にするともっと複雑になるため、生年月日、生まれた時刻、生まれた場所で細かく出す西洋占星術と違い簡単な太陽星座でだしているからです
以上です。当たる星占いのこと分かりましたか?星占いがとても奥が深いということが分かったと思います。こちらを参考にして当たる星占いを探してくださいね。